昨秋からゼミ活動に朝日新聞の天声人語の書き写し講座を始めた。もう40年以上も前になるが、新聞記者になりたてのころ、先輩記者から「いい文章、いい記事が書きたけりゃ天人(天声人語)を読んで、書き写すことだよ」とアドバイスされた。大学に勤めた今でも、天人の切り口の鋭い文章や心がほっこりするような記事に出会うとそのフレーズをメモ帳にそっと書き写している。
昨春から書店で売り出された「天声人語書き写しノート」が学校や職場、家庭で爆発的な人気を呼び、朝日新聞の紙面でもその活用法が大きく取り上げられた。603字で鍛える力には、国語力や時事用語の読解力のアップをはじめ、老後の「頭の体操」にまで役立つとある。
さっそく、私のゼミでも取り入れた。ゼミ生10人に書き写しノートを配り、週一回のゼミ教室で実践してもらった。ほとんどのゼミ生が新聞を読まないため、1週間分の天声人語を切り抜いて用意し、学生たちは、そのなかから自分の気に入った文章や関心の高かった出来事を書き写していく。「この漢字、何て読む」「この故事、諺の意味は?」から国内政治、経済、世界の動きまでゼミ生が関心を持つようになった。入社試験対策に格好の教材といえば、みんなの顔つきも真剣になるが、なによりもゼミ活動の話題が豊富になり、会話も弾むようになったのが、大きな収穫である。
天声人語は「天に声あり人をして語らしむ」の意味で創刊134年を迎えた朝日新聞社のなかでも1904年から続く名物コラムである。新聞社の顔ともいえる論説委員が書き下ろすコラムを教材に私なりの「天人塾」を広げたい。
写真は週一回のゼミ活動は、天人の書き写しで会話も弾む
「もう我慢できない!」「降ろしてくれ!」「あと何時間で?着くの」およそ25時間後、やっとの思いで、"おがさわら丸"(大型客船131m・6,700t・1043名定員)は父島に到着した。東京から約1,000km(距離も現実からも)離れた小笠原諸島(父島/母島)がキラキラとした笑顔で迎えてくれた。
数十年前の話であるが、ある時期様々な島をめぐりながら、私はサッカー教室で全国を回って子供たちと触れ合っていた時期があった。今でも記憶している島は...『石垣島・西表島・宮古島・沖縄本島・屋久島・利尻島...父島、母島』各島において子供たちのサッカー指導・普及活動と、大人向けの指導者講習会を行う。グランドで一緒にサッカーを楽しみ、そして夜も地元の人達とお酒をともにしながら親睦を深める。
島の観光や散歩をしていると、珍しい動植物(高価で売れる!) や、自然環境に出会い、言葉では言い表せられない感動を味わえる。また、「こころ優しい」純粋な島の人たちとの触れ合いは忘れることのできない思い出になった。このような体験や経験は我が人生において最高の糧となり、自分自身の情緒豊かな人間形成のビタミン剤となる。
父島に一度上陸すると、帰りの船は一週間後になる。自然と島の人たちと親しくなる。しかし「あっと」いう間に時は経ち別れとなる。父島の港に観光客や地元島民がたくさん集まり...しかしそこで生涯忘れることのない最大のイベント(お別れ会)となる。
次回に続く...
私にはかつて本気になって、自分のすべてを懸けて目指した場所があった。
今、私はその場所を再びあの頃と同じ思いになって目指している。
しかし、以前と違うところは一人ではなく二人で目指していることだ。
5年前に私がこの大学の教員として再スタートを遂げたとき、大学時代のかつての恩師から心温まる言葉を掛けてもらった。
「ゼロからの出発は様々な苦労がある。思い通りにいかないときもある。
しかし、諦めないで努力を積み重ねなさい。お前のそういう姿勢を見て、
いつの日か必ず素晴らしい選手がお前のことを信じて来てくれるはずだ」。
そのひとことひとことに身体が震えたことを今でもはっきり覚えている。
これ以上ないエールだった。
そして今、あのときの言葉は現実となった。自分の抱いた夢を信じることでもう一度
目指し、挑戦することを決めて私の胸に飛び込んで来てくれた。
私は恩師の言葉を信じて歩みを止めなかった。だからこそ、巡り会えたのだと思う。
昨年の春から二人三脚で歩み始めた「夢への挑戦」。
次々と試練がひとつ、またひとつと訪れるたびに傷つき、涙を零すときもあったが、
そのたびに力をつけて乗り越え一歩一歩大きくなってきた。
そこで育んだ互いの絆は大地にしっかりとした強い根となり、
二人は今から太い幹となって夢の場所を目指しグンと伸びていく。
これからも本物の努力、偽りのない努力を互いに積み重ねて行こうと思う。
彼女が夢を成し遂げるために。それが私たちの「夢への挑戦」。
わたくしは、以前から、弓道を、体と心との関係をたいへんシンプルな形で体験できるスポーツであると思っている。正しい姿勢と自己統制とが要求されるからだ。 先日、朝日新聞の「声」を読んでいると、木村明人さんという77歳の方の投書が目に入った。木村さんは、65歳から弓道の練習を始められたそうだが、「きつい」「苦しい」などとは無縁で、いつも気持ちが和らぐという。しかし、いちばん難しいのは、正しい狙いができても矢が弓を離れる瞬間、ほんのわずかな狂いがあれば的中しないことだという。
わたくしは、この投書を読みながら、日本三大随筆の1つである『徒然草』の1章段を思い出した。弓道のある師匠は弟子にこんなことをいったそうだ。「初心の人、二つの矢を持つことなかれ。後の矢を頼みて、初めの矢になほざりの心あり。毎度ただ得失なく、この矢に定むべしと思へ(初級者は2本の矢を持ってはいけない。2本目があるからと気がゆるみ、1本目をいい加減にしてしまう。射るたびにいつも当たりはずれを考えることなく、この1本の矢で射当てようと思え)」(『徒然草』92段)と。兼好は続けていう。「わづかに二つの矢、師の前にて、一つをおろそかにせむと思はむや。懈怠の心、自ら知らずといへども、師これを知る。この戒め、万事にわたるべし。(たった2本の矢で、しかも師の前で、1本でもおろそかにしようなどと思うか。油断の心は、自分で意識しないのに、師はそれがわかるのである。この訓戒は万事に通じるであろう。)」と。コーチングへのヒントにもなる戒めである。
体育の武道必修化にあたって、老若男女を問わず、体と心との関係をシンプルな形で体験できる弓道が盛んになることを願うものである。
先日3年次生のゼミ生が、学生を対象に勉強会を主催した。テーマはストレッチングで「身も心も伸ばそう!」というキャッチフレーズだった。直前の呼びかけにもかかわらず、1年次生を中心に10名ほどが参加してくれた。4時間もの長丁場の企画に対して、手探りで準備を行うゼミ生だったが、何とか開催にこぎつけた。当日の資料はA3用紙が10枚!身体各部位のスポーツ障害についての資料や、筋肉や骨などの運動器の解説をしている資料とストレッチングの実際を解説している資料もある。
担当者が出てきて勉強会が始まった。はじめはぎこちない説明だったが、一人目が終わるころにはみんな馴染んできた。授業では寝ている1年次生が、興味深そうに聞いている。勉強会の中盤からは、同じ3年次生からフォローや補足などのアドバイス(時にツッコミ)も飛び出すようになってきた。スポーツでよく発生する怪我の話を引き合いに、その怪我の予防や再発予防のためのストレッチングの実習が繰り返されていく。
終わって参加者からの感想は「次のストレッチング企画にも参加したい」、「問:もう一工夫ほしいと思ったパートは?答:****」等。意外に1年次生にからの感想コメントは厳しく、そしてありがたい。
実際にうまくプレゼンテーションを終えた3年次生と、今一つ消化不良のように担当パートの説明を終えた学生がいる。うまくできなかった学生について、一緒に参加してくれた助手から次のような一言、「ストレッチングを知識として覚えていても、実践で使いこなせていなかったら、人にはうまく伝えられないんですよね。」
私たちが教育の中で重点を置く実践力の育成について、基本的な知識や技能の構築だけではなく、私たちのようなアスレティックトレーナーの現場では、知識と技能の活用力を鍛え上げなければ実際のスポーツ現場では通用しない。よくタンスの引き出しに例えられるのだが、引き出しの数を増やすだけではなく、引き出しを開けたらその中身をどう現状に当てはめるかといった予想や、開けた引き出しの組み合わせを創意して必要な状況に合わせることが実践力といえるだろう。授業や最新の知識を増やしただけでは実践力は育たない。また何度もチャレンジしてたくさん失敗しないと、的確な実践力も育ってこない。
学生には何気なく過ごしているクラブ活動などの学生生活が、貴重なスポーツ現場であることに気が付いてほしい。私たち教員も授業で基本的な知識を伝えるだけでなく、学生が何度もトライできるスポーツ現場の提供をもっと積極的に考えよう。
この度、学長先生はじめ学部長にもご理解を賜り、ある企業のVリーグ男子バレーボールチームのチームドクターに就任することが許された。まさか、この歳で考えてもいなかったので、いささか当惑していたことも事実だ。
任務は、チームの選手・スタッフの健康管理である。実際は、チーム付きのトレーナーからの電話による相談業務が主だ。○○選手が腰痛を訴えているが、あるいは□□選手が足くびを捻挫したが、どうすればいいか?に対し指示をする。また、ストレングスを担当するコーチからは、トレーニングや体力の評価の相談を受けることもある。
これまで観客席から試合を観戦したことはあるが、日常は治療サイドだけに居て、送られてくる選手に対し、スポーツ整形外科医としての診断、治療方針の決定、場合により手術も行ってきた。術後のリハビリテーションの指導も大切な任務だった。
チームドクターは、そこからさらに現場に近いところでも活動しなければならない。当面、近畿地区での公式試合への帯同が要請されている。試合結果に、一喜一憂する勝負の現場に居合わすことになる。
チームに与えられた時間には猶予はない。医師になって間もなく40年、この間に得た知識や技術、人間としてのすべての経験を、このチームの活動にささげたい。いわば、自らのスポーツドクターとしての集大成にしたいと決意している。
11/20、第1回神戸マラソンにゲストランナーとして出場した。
3週間前に行われた第1回大阪マラソン(出場)、2月の東京マラソン(落選)、3月の第1回京都マラソン(抽選結果待ち)と、今年は都市型大規模市民マラソンのオンパレードだ。この4つの大会を合わせただけで、エントリーが約635,000人、そのうち実際に走るのは約100,000人にもなる。出場者は老若男女、多種多彩。「人はなぜ走るのか?」不思議だ。
近年「BORN TO RUN」(1)「ランニングと脳」(2)「脳を鍛えるには運動しかない」(3)などの著書や、科学雑誌「nature」(4)でも「人と走ること」の関係について触れられ、話題となっている。どうやら、人は太古の昔から走るようにできているらしい。DNAがそう言っているのなら仕方がない。だから、僕は走るのか?
小2の冬休みに父に無理やり誘われた早朝ランに始まり、野球をやりたかったのに両親に半ば強制的に入部させられた中学校の陸上部、あと1秒及ばず出場できなかった中3の全中、ランキングトップで臨んで3位に沈んだ高3のIH、聖火ランナーとして地元の期待を一身に背負って惨敗した神戸ユニバ、ゴールまであと2㎞で脱水症状を起こして逃した東京世界陸上、ラストチャンスに賭けたが届かなかったバルセロナ五輪、道半ばで突然奪われた競技生活...、これら多くの「悔い・無念」を晴らしたいから僕は走るのか??
「走ること」で得たものがある。多くの人と出会えた。生涯の恩師・先輩・友人・ライバル・伴侶・家族、そして選手・学生...。走っていたからこそ、あの高校・大学・実業団チームに進むことができた。勝利の恩恵を受けた。国内46都道府県(山形県以外)に加えて、海外(アフリカ大陸以外)での見聞も広めることができた。これらは、僕にとって本当にかけがえのない財産だ。だから、僕は走るのか???
何はともあれ、今僕はここ(びわスポ)にいて、性懲りもなくまだ走っている。
先日のびわ湖大学駅伝では、たくさんの人に応援していただいたにもかかわらず、またチーム全員の1年間の奮闘の甲斐なく、びわスポはまたしても敗れた。しばらくは、悔しくてつらい我慢の日が続くだろう。けれど、選手も僕もまた走り出すに違いない。
季節も移って、いよいよ厳しい「比良の冬」が始まる。早朝の頂は白かった。
「なぜ走るのか?」答えを見つけるためには「走り続ける」しかない。
(1) クリストファー・マクドゥーガル著、近藤隆文訳、NHK出版(2010)
(2) 久保田競著、朝倉書店(2009)
(3) ジョンJ・レイティwithエリック・ヘイガーマン著、野中香方子訳、NHK出版(2009)
(4) Dennis M.Bramble & Daniel E. Lieberman,「Endurance running and the evolution Homo」, 432, 345-352, 18 Nov. 2004
スポーツ学入門の授業で1年生に、「見た目90%」の10分間の講義をする機会があった。講義の効果のほどはわからない・・・・
「見た目90%」いわゆる第一印象のことで、人は判断される、もしくは判断するということであろう。
本学は教員志望が多く、とりあえず免許を取っておけば何とかなると考える学生が多い。毎年、教育実習校へ挨拶に行くところで、出会う卒業生が小学校、中学校教員として大阪、京都に結構いる。その教え子たちが本学へ入学してきている。へぇ~ あの子が生徒のことを考えて教育に携わり、実習生の指導を行っているではないか。卒業生自身が中学校、高校、大学の頃にやんちゃであった経験が思考へそれが知恵袋になって教育現場に生かされているようである。確かにいままでの見た目だけではないことを考えさせられる。
テレビゲームがブームになる前の学生からすると、歯切れの良い諦め、物分かりが良いなど、しかし何かが違うような、と感じる。
学生のマナーやモラルが問われるのはいまさらではないが、近隣の方から指導を求められている。そしてジャージやスウェット姿は目に余る。
見た目だけでも、上品に爽やかにスマートな感じを学生に持たせたい!まずは、周りに良い印象を持ってもらえることができれば、中身も後から付いてくるのでは。
見た目から決めていく、ひょっとしたら安易な方法からでも学生の印象が良くなるのではと考える。だったら、やっぱり統一感のある見栄えのいい物を学生に着てもらいたい。かっこいい基準服を考えるぞー!!
『人間は、時々、立ち止まって考える時間が必要である』と、ある本に書いてあった。確かに、納得する言葉である。自分が良かれと思って突き進んでいくうちに、方向が違ってしまう場合もある。時々、時間を作り、今の道は正しい道か?自分に問うことも必要である。
本学のスポーツクラブも、シーズンを終えて冬の時期を迎えるクラブもあるだろう。そのような時期に、
◆なぜ本学に来たのか?
◆自分にとってのスポーツは何の意味があるのだろうか?
◆ この競技は将来のために、何を学ぶことができるのだろうか?
このように自問自答する時間を作ってはどうだろうか?
その答えを、考え・再認識することのできる学生は、迷いなく、きっと冬のトレーニングに邁進することができるだろう。
まずは立ち止まって、考えよ!そして、行こうとする方向を再度修正してみよ!
そこから君の新たなる、スタートが始まる。
上記は× 再スタート
「世界の松田になる」。この言葉は金沢大学の恩師サッカー部監督の盛大衛先生が、39年前に私の結婚式の祝辞の中で新郎をヨイショするために述べられたセリフである。車のMAZDAじゃあるまいし、余りにもデッカイ話をされたので赤面したのを覚えている。それから22年後の1994年にその暗示の通り、ユース日本代表監督としてU-16アジアユースサッカー選手権大会で2連敗の後2連勝して何とか決勝トーナメントに進出、準決勝オマーンに逆転勝ち、決勝はカタールに延長Vゴール勝ちして初優勝、世界大会への切符を手に入れることができた。盛先生は常々「金沢大学サッカー部を日本一にするんだ」「石川県をサッカー王国にするんだ」と私たちサッカー部員に言い続けておられた。私も尊敬する先生と同じように指導者になってからは、守山高校でも守山北高校でも「高校サッカーで日本一なるんだ」と呪文を唱えるように選手たちに言い続けてきた。9年前にびわこ成蹊スポーツ大学に赴任してからも同じように「大学サッカーで日本一になるんだ、日本一のサッカー部をつくるんだ」と言い続けている。
「たった一度の人生、指導者自身が大きな夢を持つこと、そして選手も指導者に負けない大きな夢を持つこと」が一番大切な指導であるということを盛先生から学ばせていただいた。出来るだけ多くの人と夢を共有し、挑戦する勇気と我慢する勇気、そしてチームワークが夢の実現に重要なことだと考えている。
盛先生は今も石川県サッカー協会名誉会長として後進の指導をされ、夢を追い続けておられる。